武蔵御嶽神社の護符には、目が三日月をかたどったおいぬ様。
【雪】木曾御嶽山の「御嶽(おんたけ)神社」
【月】武州御嶽山の「武蔵御嶽神社」
【花】甲州御岳山の「金櫻(かなざくら)神社」
と日本三御嶽を「雪月花」になぞらえていて、武蔵御嶽神社は「月の御嶽」と称されているのだそうです。
創建は崇神天皇7年(紀元前91年)といわれ、奈良時代には行基(奈良の大仏建立に携わった僧)がこの山に蔵王権現の像を安置して以来、山岳信仰の修験の聖地として厚く信仰されてきました。
江戸時代までは「御嶽大権現」と呼ばれていましたが、明治の神仏分離により神社となりました。現在は神社本庁に属さない単立神社です。
(単立神社には他にも日光東照宮や明治神宮、靖国神社、伏見稲荷大社などがあります)
目 次
「御嶽」とは、神様がいらっしゃるような貴い高い山を意味します。日本各地に「御嶽」と呼ばれた山があり、木曽御嶽山や甲州御嶽山など今もその名が残ります。
古来より日本人は、食物を育てるのに欠かせない水の源である『山』を、神が宿る場所として畏敬の念を抱き、信仰の対象としてきました。
このような霊山に入って修行をし、山の霊力を体得するという修験道が、蔵王権現を祀ったことから始まり、中世になると関東の一大中心地となっていきます。
日本で独自に生まれた修験道
もともと日本では、万物には八百万の神々が存在するという自然崇拝の土着の信仰が古くからありました。そこへ大陸から仏教・道教・陰陽道などが融合して、我が国独自の宗教として生まれたのが修験道です。ご本尊は「蔵王権現」、インド中国には存在しない日本で誕生した仏であり、自然の霊威を体現しているとされ、日本各地の霊山に祀られています。
役行者(えんのぎょうじゃ)が奈良の吉野で体得した修験道=蔵王権現信仰が日本中にひろまり、関東において御岳山がその一代中心地として開かれました。行基が蔵王権現を納め祀ったことから修験者たちの聖地となり、平安鎌倉期には多くの武将達の篤い信仰を集めました。
歴代の有力者たちが納めた武具や奉納品が、いまも宝物殿に数多く現存し、中には国宝も2点収蔵。徳川家康は江戸幕府を開くと、「江戸の西の護り」として社殿を改築しました。
江戸時代までは"神仏習合"といって神社と寺院は明確に分けられていませんでした。明治時代の神仏分離令によって、それまでの「御嶽蔵王権現」から現在「武蔵御嶽神社」となっています。
武蔵御嶽神社は、"おいぬ様"と呼ばれるニホンオオカミ(大口真神)が守り神。ヤマトタケルがこの地に訪れて道に迷ったところを、白い狼が現れて助け導いたという伝説が残ります。
"おいぬ様"の護符は火難除けや盗難除けとして、江戸時代から庶民の間で人気が拡がりました。近隣の山々にも狼伝説は多く残っていて、三峯神社や寶登山(ほとさん)神社にも"おいぬ様"の護符があります。
武蔵御嶽神社の護符には、目が三日月をかたどったおいぬ様。
【雪】木曾御嶽山の「御嶽(おんたけ)神社」
【月】武州御嶽山の「武蔵御嶽神社」
【花】甲州御岳山の「金櫻(かなざくら)神社」
と日本三御嶽を「雪月花」になぞらえていて、武蔵御嶽神社は「月の御嶽」と称されているのだそうです。
社殿全体の外側も内側も、圧倒的な総漆塗り。漆の朱色には古来から魔除けの力があると信じられてきました。
参列者が座る拝殿には、木彫りのおいぬ様が一対鎮座します。
拝殿のさらに奥、一段高くなっているところが本殿で、ここに五柱の神様が祀られています。
※神様を数える単位は「柱」です。
■櫛麻智命(くしまちのみこと)
櫛=奇し(くし)=神秘・不思議 "真に不思議な知恵"を持つという占術の神様。天岩戸伝説にも記述されている太占を司る神様。
■大己貴命(おほなむちのみこと)
"大黒様"として親しまれている大国主神のことで、出雲で国造りをした神様(出雲大社や大國魂神社のご祭神)。縁結び・五穀豊穣・商売繁盛などのご神徳。
■少彦名命(すくなひこなのみこと)
体の小さな神様で一寸法師のモデルともいわれる。医療の知識に優れ、大国主神が病に倒れたときに湯治で治療したことから温泉の神様としても知られる。医薬・穀物・酒造・温泉のご神徳、万民の病難を救う霊力。
■日本武尊(やまとたけるのみこと)
国土安泰・五穀豊穣、武運長久(出世)・実力発揮、火防・災厄消除、開運招福のご神徳。日本武尊が亡くなったときに白鳥になって飛んでいった事から、武蔵御嶽神社の式年祭は酉年となったとも云われる。
■廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)
蔵王権現と同一神。
奈良時代、行基(東大寺大仏建立に携わった僧)が蔵王権現をここに安置した。
神話の時代から行われていた太占(ふとまに)。アマテラスが岩戸に隠れたときに、神々はこの太占で対策を占ったと古事記に記されています。
毎年1月3日に、鹿の肩甲骨を斎火で焙り、できた割れ目の位置でその年の農作物の出来を占います(米・大豆・そば・ジャガイモ・人参など25種類)。
主祭神の一柱、櫛真智命が全国的にも珍しい「占い」を司る神様ということで、ここのおみくじは是非ひいておきたいもの!
古い言葉で書かれているので、解説書を閲覧して意味を確かめます。不思議と今の自分にぴったりの言葉がもらえると評判のおみくじです。
本殿へのご挨拶が済んだら、後方の玉垣内(9-16時開門)の名だたる神々さまたちにもご挨拶を。
■神明社
【御祭神】天照大御神・豊受大御神
太陽神のアマテラス様(どちらも伊勢神宮の主祭神)
■二柱社
【御祭神】伊邪那藝(イザナギ)大神・伊邪那美(イザナミ)大神
神話で最初の夫婦神、天照大御神のご両親
■常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)
【御祭神】全国一の宮の神々など八十七柱
およそ500年前(室町時代)に、もともと本殿として建立された社殿
■皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)
【御祭神】瓊々杵尊(ににぎのみこと)
神話天孫降臨の主人公であり、天皇の祖神といわれる神様
■巨福社(こふくしゃ)
【御祭神】埴山姫命(はにやまひめのみこと)
土の神様で豊穣をもたらすご利益。巨福山と云われている神社境内地の土は、古来より霊験が強いとのことで、畑にまくと虫などの害を防ぐご利益があるとのこと。
■八柱社
【御祭神】素戔嗚命(すさのおのみこと)、月夜見命(つくよみのみこと)、高御産日神(たかむすびのかみ)、神産日神(かみむすびのかみ)など
■東照社
【御祭神】徳川家康公
必勝祈願、出世、健康長寿のご利益がある東照大権現
■北野社
【御祭神】菅原道真公
天神さまとよばれる学問の神様、合格祈願のご利益
■大口真神社(おおぐちまがみしゃ)
【御祭神】大口真神
おいぬ様とよばれるニホンオオカミ、日本武尊の眷属神
玉垣内の一番奥、大口真神社のさらに奥に、奥の院を正面に臨む遥拝所があります。
奥の院は、ヤマトタケル(日本武尊)を祀る男具那社があります。左右対称の美しい円錐形の独立峰は、富士山や大山のように古来から神宿ると信仰されてきたことを感じます。
巨福山と云われている神社境内地の土は強い霊力があると言われていて、「畑などに撒くと虫などの害を防ぐ」という信仰が伝えられています。
方位除・厄難消除のご利益もあるとのこと。
本居豊頴 (本居宣長の曾孫)が詠んだ【神山霊土歌碑】という碑が、境内に建てられています。
神山霊土歌碑(意訳)
神武天皇は夢のお告げにより、奈良大和三山の一つ天香久山の頂の土を採り、その土でたくさんの瓦を作り天地の神様に供え祀ったところ、願いが叶い大和を平定なさることが出来た。
また、三韓出兵の祈りに神功皇后のお乗りになる大御舟に、弥保都比賣の教えの通り、赤土を塗った逆鉾を建て向かったところ、天地の神さまのご守護で、新羅の国を治め無事凱旋なされた。
延喜式神名帳にある大麻止乃豆天神社として古来より信仰される武蔵御嶽神社のこの土は、神代の霊力そのままに、田畑を荒らす虫の害を防いでくださる、誠に不思議な尊い土である。
なるほどなるほど、このように尊く高くそびえ立つこの山に祀られる神様のお力を、世の人々はただただひたむきに信仰されよ。
御師とは、武蔵御嶽神社に仕える神職であり祈祷や御札の授与を行い、また参拝者の案内や食事・宿泊の世話、布教活動なども行います。
武蔵御嶽神社は江戸時代から、特に農業の神さまとして農家を中心に信仰を集めました。ごく小さな農村単位で「講」と呼ばれる団体が形成され、関東一円に今でも多くの御嶽講が存在しています。
かつて江戸時代では庶民の物見遊山が禁止されてましたが、参拝という信仰目的であれば認められたため、富士講や伊勢参りが江戸で大流行し、御嶽山参詣もかなりの人気を博したそうです。
講の人々が武蔵御嶽神社へ参拝するのは、おもに種まきや田植えが始まる前の春先ごろ。代参という代表者を数人決めて講全体でお金を出し合い、豊作祈願の参拝に詣でます。
講と宿坊はそれぞれ親密に結びついていて、講の参拝者が御岳山へ来たら〇〇荘にお世話になると必ず決まっており、他の宿坊に宿泊することはないのだとか。
そして秋になると御師が山を降りていって、講の信者たちの家々を一軒ずつ訪ねて御札を配ったり祈祷します。
こうした御師と講の関係は、世代交代しても数百年変わらず続いているのです。
現代では農地がどんどん宅地になり後継者不足で存続できない講も増えているそうですが、今でも毎年数百軒と訪ね歩く御師もいます。
江戸時代には全国各地にこうした信仰の関係を結んだ御師と講が存在しましたが、明治に入り御師制度が廃止されたため、昔ながらの活動が残っているのは武蔵御嶽神社のみとなっています。
■宿坊
江戸時代より代々続く御師家では、自宅に参拝者を泊めたり食事をもてなすなど、宿坊として宿泊施設を営んできました。江戸時代にはまだ神仏習合の神社であったため「宿坊」という名前で今も残っています。
どの宿坊にも武蔵御嶽神社から御霊分けされた内神殿があり、ここで祈祷を受けることもできます。
社殿前の狛犬と宝物殿前の畠山重忠像は、北村西望氏の制作です。
北村西望とは、長崎の平和祈念像を制作し102歳という長寿を全うした彫刻家。北村氏は御岳山にもよく訪れたそうです。
宿坊など集落のあちこちに、北村氏の彫刻や書がいくつも残されているなど、御岳山を愛したことが分かります。
■神坐す山の物語
著者は「鉄道員(ぽっぽや)」などの小説を数多く残す浅田次郎氏。
実は浅田氏の母親の実家が、御岳山宿坊「山香荘」を代々営む御師家系です。
徳川家康の先達を務めた熊野の修験がご先祖であるという山香荘。
その御師家の血を継ぐ浅田氏は、見えざるものが見え、聞こえざる声が聞こえる少年でした。
八百万の神々の気配を色濃く感じる神の山・御岳山で過ごした幼いときの、神気ただよう不思議なエピソードの短編集です。
御岳山集落では亡くなることを「神上(かむあ)がる」と表現したり、冠婚葬祭の独特な儀礼や宮家との繋がりなど、昔から特殊な場所であり古来より脈々と受け継がれてきた文化風習をかいま見ることができます。
浅田氏の曾祖父が狐落としで有名な神官であったり、天狗にさらわれたという伯母の話なども、すべて実話をもとにしたという自伝的小説です。
■オオカミの護符
かつて御嶽講が数多く存在し、今も御嶽道という武蔵御嶽神社への道が残る川崎市宮前区。その中に250年以上続く"土橋御嶽講"の家に生まれた著者。代々農家を営んでいた生家の土蔵に貼られた「おイヌさま」と呼ばれる護符に興味をもった著者が、そのルーツを辿っていく謎解きの旅の記録です。
細々とながらも今も地元で続いている風習を取材し、講の人々の暮らしに根付く信仰や武蔵御嶽神社との関わりを紐解きながら、さらなる謎に結びつき導かれていきます。
本書は記録映画「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」(2008年に公開)をもとに書かれました。平成20年度文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、アース・ビジョン第17回地球環境映像祭アース・ビジョン賞を受賞しています。
2019-08-22(Thu)
2022-06-17(Fri)
2019-08-31(Sat)