登校拒否・不登校を考える親の会「ポコ・ア・ポコ」
代表 井出 里美
春の運動会が終わった直後の6月。当時小学校5年生だった息子は、お腹を転げまわるように痛がり、学校に行かれなくなりました。「子どもは毎日学校に通う」というそれまでの日常が崩れ去ったことで、私は先の見えない真っ暗なトンネルに一人取り残されたような不安と恐怖で押しつぶされそうになりました。
あれから15年。ひとりぼっちで毎日泣いていた私には、不登校のことを一緒に考え合う仲間ができました。そして息子は、「不登校は自分のことをじっくり考えるためのいい時間だった」と話しています。
今、不登校のことで悩んでいる方へ、ほんの少しでも「大丈夫だよ」の気持ちが届くことを願って、私たち親子の経験を書かせていただきます。
「母ちゃん、学校には自由がないんだよ。休み時間、僕はゆっくり絵を描きたいのに、先生は外で遊ばないとダメって言うんだ。休み時間なのに」小学校に入学してすぐに、息子はふとこんなことをつぶやきました。
2年生のときは、漢字の宿題をしながら「僕は一生懸命書いているのに、先生はちっとも花丸をくれない」と涙を流しながら書いては消し、書いては消していたことがありました。
4年生になって友だち関係に悩んでいた息子に「先生に相談したら?」と私が言うと、「先生は毎日泣く子やけんかをする子の話を聞いたりしてすごく大変なんだよ。それなのに僕まで相談したら、先生病気になっちゃうよ。だからいいんだ、僕は我慢するから」と答えました。
そして5年生。息子は学校に行かれなくなりました。
しばらくしてお腹の痛みも和らいだ頃、「そろそろ学校に行ったら?」と私が言うと「学校はいつでも笑ってなくちゃダメなんだよ。僕はいつお腹がいたくなるか心配で、今は笑えない。だからまだ学校には行かれないよ」と話していました。
今こうして思い返してみれば、息子がどれだけしんどい思いで学校に通っていたのか、よく分かります。しかし当時の私は、息子を通して親が評価されるような圧力を感じていたのだと思います。世間の自分を見る目に怯えながら、息子の気持ちに気付く余裕は、私にはありませんでした。
息子の不登校からしばらく経った頃、青梅市に不登校の子をもつ「親の会」があることを知りました。しかし当時の私は、それまでの子育てを悔いながら、自責の念に駆られていたので、親の会でも「責められるかもしれない」と思い、なかなか参加できませんでした。
それでも日々の生活の中で、不登校が故の悩みは次々に襲ってきました。
「毎日、欠席の電話はしたほうがいいの?」
「家に届く宿題はやらせたほうがいいの?」
「給食は止めていいの?」
「朝は今まで通りに起こしたほうがいいの?」
「ゲームばかりしているけど大丈夫なの?」
そして「他の不登校の子の家ではどうしているのか、聞いてみたい」と思い、勇気を出して親の会への一歩を踏み出しました。
「責められるかもしれない」との私の心配をよそに、「だいじょうぶよ」と笑顔で迎え入れてくれた、それが親の会との出合いでした。あのときのやっと「ホッとできた」という感覚を今でもハッキリと覚えています。
そして私には先生でも専門家でもない、同じ親からの「大丈夫」の一言が、他の何よりも本物のことばに思え、「ここに来ていれば、いつか私も笑顔でそう言える日が来る」となぜか確信できました。それからというもの、誰にも言えなかった悩みやつらさを、ときには声を上げて泣きながら吐き出し、その度に心を軽くして家に帰るようになりました。
親の会で私は、弱いところやダメなところも含め、「ありのまま」を受け止めてもらいました。そして、「否定されずに受け止めてもらえることが、こんなにも心地よくて安心できるんだ」と実感しながら、段々にわが子にもその感覚を返せるようになっていきました。
そうしてしばらくたった頃、「母ちゃん最近変わったね。昔は言ってもわかってくれないことがいっぱいあったけど、今は言えば何でもわかってくれる。やっと本当の親子になれた気がする」と息子はつぶやきました。
それからも不安や悩みは尽きませんでしたが、それを話して一緒に考え合える仲間がいることは何よりもの心強さになりました。そしていつしか、「学校に行っているかどうか」ということよりも、今の息子のそのままを尊重することの方が大切だ、と思えるようになりました。
ちょうどその頃だったと思います。息子が「家族でご飯を食べたり、テレビを見て笑っていられる。そんな何でもないことが幸せなんだよね」と言って、安心した日常を取り戻したのは・・・。
その後息子は、紆余曲折を経ながら、自分の意志で都立高校へ進学しました。
いつだったか、たくさんの不安を抱えながら、それでも高校への一歩を踏み出せたのはなぜか?と聞いてみたことがあります。息子からはこんなことばが返ってきました。
「母ちゃんは何があっても僕を責めない。『大丈夫』って言ってくれる。そんな確信があったから僕は踏み出せた。親の『大丈夫だよ』の一言は他の何よりも、数万倍の力になるんだよ。だからね、親には、そしておとなには『大丈夫』と子どもに心から伝えてほしい」と。
私が心からの「大丈夫」が言えるまでには、私の中でたくさんの葛藤がありました。誰かが答えをくれる訳でもなく、取り払ってくれる訳でもなく、「あなたが子どもと一緒に見つけていくものを、そのまま全部尊重するから、安心して悩んでいいんだよ」という空気の中で、十分に葛藤した。苦しかったけれど、ひとりじゃなかった。親の会でのあの経験が「大丈夫」に込められ、息子の安心へとつながったのだと思います。
人それぞれに子どもとの安心の紡ぎ方があります。どうぞみなさんも、ひとりで悩まないで、誰かとどこかでつながって、安心してゆっくり子どもとの「大丈夫」を紡いでください。
執筆:井出里美
羽村市在住 50歳
フリースペースロビンソンとの出会いから、羽村市に登校拒否・不登校を考える親の会「ポコ・ア・ポコ」を立ち上げる。西多摩地域にある親の会と連携しながら、毎年講演会や学習会も行う。わが子の不登校と親の会で学んだこと―「その子のありのままを尊重するまなざし」を大切にする居場所として、フリースペースロビンソンのスタッフとして関わっている。
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