霊山と呼ばれる、青梅の御岳山。
そのふもとに日本の伝統的な文化「鷹狩(たかがり)」の有名な流派、諏訪流の鷹匠さんが鷹と一緒に生活しています。
諏訪流第18代宗家の大塚紀子さんは、女性鷹匠の先駆者として伝統を継承しながら、諏訪流の門下生を育てています。
現在日本で鷹匠を名乗っている人は50人ほどですが、中でも女性は10人前後。
女性の鷹匠の数が少ない中で、大塚さんが宗家をつとめる諏訪流は門下生24人中半分は女性だそう。
千葉県出身である大塚さんが鷹狩と出会ったのは、大学生の頃。
卒業論文のため、東京の鷹匠さんに会いに行ったのがきっかけでした。
実際に訓練を見学して鷹の美しさに魅せられた大塚さんは、卒業後就職してからも鷹のことが忘れられず、当時諏訪流第17代宗家だった田籠善次郎氏に弟子入りします。
2006年からは田籠善次郎氏が拠点を八王子から青梅・御岳へ移し、大塚さんは鷹匠の訓練を積むため御岳山へ通いました。
2015年には大塚さんが諏訪流の第18代宗家に就任し、御岳山に移り住んで伝統を継承する活動を行っています。
実はいま日本では、「鷹匠」を名乗るのに必要な資格がなく、個人が鷹を飼えば誰でも名乗ることができるのだとか。
日本の鷹狩文化は、1,600年以上前(古墳時代)の記録が日本書記に残されていて、一番繁栄した江戸時代には沢山の流派がありましたが、それら歴史ある流派が今も残っているのは「諏訪流」と「吉田流」の二つ。
大塚さんが継承した諏訪流は、日本の鷹匠文化を今に伝える貴重な流派なのです。
諏訪流初代の小林家鷹はなんと、信長や秀吉、家康に仕えていた鷹匠だったそう。
家鷹という名前も、信長に召し抱えられた際に「鷹の扱いに秀でる名人」ということから賜ったもの。
その後は鷹好きの家康にも重用され、小林家は代々将軍家や宮内庁の鷹匠として活躍しました。
14代目小林宇太郎に後継がいなかったことから、15代目からは弟子がその伝統を継承することに。
戦後は宮内庁では公式な鷹狩を廃止しましたが、「鷹狩」という伝統を後世に伝えていくため17代目の田籠氏が「諏訪流放鷹術保存会」を発足し、大塚さんが18代目宗家として引き継いでいます。
鷹匠になるためには自ら3年鷹を飼い続けると認定試験を得る資格が得られるそうですが、門下生の全員が独立し鷹匠になるわけではなく、ライフワークとして続けていく方も多い世界なんだそうです。
そういった方もずっと鷹狩を続けていけるよう、お手伝いがしたいとおっしゃっていました。
門下生になってまず学ぶことは、所作や道具作り。
鷹狩の際に使う道具は、自ら手作りしたものを使うこともあるそう。
鷹匠ならではの言葉に「鷹詞(たかことば)」という特殊な用語があり、鷹を手に乗せることを「据える(すえる)」と言います。
鷹を手に据える時に使う手袋は「エガケ」と言い、鹿皮をなめしたものを使い、使い手それぞれの手にフィットするよう手縫いをしていきます。
こういった道具を作ったり、殿様に鷹を渡す所作などの伝統作法を学んだりと門下生の方たちが覚えることは多種多様。
「複雑な所作や独特の道具作りをはじめ、鷹狩の伝統を後世に伝えていくのが自分の役割。難しく奥が深い鷹狩の伝統を学んでいる門下生には、もっと活躍できる場所を増やしてあげたいです」
鷹狩では鷹と人の関係性を表す言葉の一つに、「人鷹一体(じんよういったい)」というものがあります。
「人鷹一体」は鷹と鷹匠が呼吸を合わせ、目的を達成させたときの技の境地のことで、鷹匠の究極の感覚と言えるもの。
その瞬間は一朝一夕では得られないもので、常日頃から鷹とどれだけ気持ちを合わせていけるか。
「そのうち自分が獲物を見つけた瞬間に、鷹も同じ方向を向いて同じ獲物を見ているとわかるときがあるんです」
「普段の訓練や据え回し(拳に鷹を乗せて歩くこと)の中で、鷹も人の目線や行動を学習し目的がわかっていくんですよ」
そうして日常的に鷹と気持ちを通わせ、いつか鷹が人の目線に合わせてくれた時に、一体感が高まり強く共感できると大塚さんは話します。
鷹との触れ合いは、訓練だけではありません。
餌の管理をはじめとした毎日のお世話や、体調管理…そしてなにより、飼い主の訓練や勉強の上に成り立つ「人鷹一体」は、鷹と人が積み重ねた信頼の証なのではないかと感じました。
5月から9月は鷹が繁殖期であり換毛期なので、門下生に座学や歴史や所作を教え道具の手入れをしながら秋の準備をする時期。
秋からは鷹の訓練を交えた実技を教え、年6回の講習会や依頼された実演会などをされているそう。その他にも取材対応や本の執筆など、活動は多岐にわたります。
「私はもともと積極的な人間ではなかったんですが、鷹を通じていろんな人と出会ったり、海外に招かれたりとほんとうに世界が広がったんです」
ときには鷹狩を優先するあまり生活に苦労することがあったり、鷹の生死を間近にして「死なせてしまうなんて、自分は鷹匠として向いていないのではないか」と思うこともあったそう。
「でもここで終わってはいけない。この経験を次に活かさなくてはと思うんです」と、前向きな言葉をもらいました。
大塚さんは、「ここは自然が多く静かな場所で、鷹をのんびりお世話できます」と言います。青梅の御岳山のふもとという場所は、鷹との生活にぴったりなんですね。
「一般の方も鷹狩を楽しめるようなイベントに挑戦したり、舞台や芸術にも鷹を登場させて協力できたらいいですね」と、様々な分野に意欲があるそうです。
「鷹狩という日本独自の文化の所作や伝統を、もっと若い人たちに知ってもらいたいです。いつか青梅で、その技を活かして活動していけるような場を作ってみたいですね」
青梅という自然豊かな場所で、日本の伝統文化である鷹狩と触れ合う機会を作っていきたいという大塚さんがこれから作り出す物語とは、どんなものなのでしょうか。
執筆者:ふじもとつるり
子育てをしながらWEBライター業を営む、アラフォーママ。読書や音楽が好きで、自分でお菓子やパンを作るのも好き。のんびり暮らしています。
ライターとしてはコラム、エッセイ、PR、インタビュー…と様々な分野で執筆しています。現在は出産後に移り住んだ青梅の魅力を、ぜひ文章で伝えたい!と、OMEGOCOTIさんにライターとして協力させて頂いています。
小さな事でも文章で協力したい!いろんな青梅の魅力について語っていきたいです。
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